1982年――ディスコの熱気が落ち着き、都会派AORとファンク、そして新しいブラックミュージックの洗練が交差した時代。その空気を、見事にボトルに詰めたような作品がパトリース・ラッシェンの『Straight from the Heart』(日本語タイトル「ハート泥棒」)だ。SoulFlava読者なら、このアルバムは“夜の街に似合うサウンド”としてご存じの方も多いと思うが、あらためて聴くと本作はブラックミュージックの成熟と洗練の象徴とも言える名盤だ。
今一度懐かしいアルバムを取り出して、針を落としてみよう。
このアルバムは全米R&Bチャートで最高14位を記録。大ヒットシングル「Forget Me Nots」は、Billboard Hot 100で23位、R&Bチャートで4位を獲得し、当時のラジオ・チャートを華麗に席巻した。
キーボーディスト、シンガー、アレンジャーとしてのラッシェンの才能が結晶した、まさに“総合芸術”アルバムである。
日本語版ライナーノーツ執筆は難波弘之氏。(日本のキーボード奏者、作曲家・編曲家)
今でもTikTokでこの曲に合わせてダンス投稿も多く、若者にも受け入れられている永遠の名曲とも言える。
◆「Forget Me Nots」(日本語タイトル「わすれな草」)
――永遠の都会グルーヴ、ブラックミュージック史に刻まれた金字塔
本作の象徴にして、時代を飛び越えて愛され続けるパーフェクト・チューン。
跳ねるようなベースライン、風のように軽やかなホーン、そしてラッシェンの透明感あるヴォーカル――80年代ブラックミュージックのエッセンスが凝縮された名曲だ。
さらに重要なのは、この曲が後世に与えた影響の大きさ。
特に1997年、ウィル・スミスの「Men in Black」が同曲のベースラインを大胆にサンプリングし全米1位を獲得。
世界中の若いリスナーが「Forget Me Nots」へ再び振り向くきっかけとなり、ブラックミュージック史に確固たる位置を築いた。
その他、サンプリング例としては
・George Michael「Fastlove」
・Tara 「Work It Out 」
・Doug E. 「Got It Goin’ On」
など、多数のアーティストがこの名フレーズに魅了されている。
“永遠に忘れられない”というタイトルどおり、ポップ史に残る忘れられない一曲だ。
◆「Remind Me」
――メロウ・ソウルの最高峰。R&Bサンプリング界の“母なる曲”
アルバム後半に潜む静かな宝石。それが「Remind Me」。
この曲の何よりの魅力は、“時間がゆっくり流れ始めるような”極上のメロウネスだ。
ラッシェンの囁くような歌声と、シンセの柔らかな質感が都会の夜景に溶けていく。
驚くべきは、その後のR&Bシーンでの絶大な影響力。
Mary J. Blige「You Remind Me」をはじめ、90年代以降のニュージャックスウィング〜メロウR&Bの基調を作った曲として、サンプリングの“金鉱”となった。
他にもサンプリング例は多数:
・Mary J. Blige「You Remind Me」
・Junior M.A.F.I.A.「I Need You Tonight」
・Faith Evans「Fallin’ in Love」
まさにメロウR&Bの“母体DNA”を持つブラックミュージックの源泉といえる存在だ。
◆アルバム全体について
ピアノで鍛えた緻密なアレンジ、軽やかなファンク、洗練されたAOR感覚――そのすべてが等身大でまとまった本作は、80年代のブラックミュージックが“都会の洗練”へと進化する過程をそのまま封じ込めたようなアルバムだ。
特に
「Number One」
「All We Need」
といったミッドテンポの曲は、今日のクリエイターにも愛される隠れた名トラック。
全曲の完成度が高く、アルバム単位で聴くことで初めて見えてくる“パトリースの世界観”がある。

e-Bayにおける現在の中古LP価格は日本円で5,000円〜7,000円という高値だ
超豪華LAスーパーチームとも言えるミュージシャン陣
本作の洗練されたクリスタルサウンドは、ただの“80年代の良質R&B”ではない。
Paul Jackson Jr.、Greg Phillinganes、Jerry Hey、Da Costa、Gadson、Ndugu…
当時ロサンゼルスで最も信頼された“LAスーパーチーム”とも言うべき布陣が固められている。
特に
- Freddie Washingtonのベース
- Greg Phillinganesのシンセ
- Jerry Heyのホーン
これらは1980年代ブラックミュージックの最高品質の象徴であり、アルバムの完成度を決定的に高めている。
“名盤は名手が作る”を体現したアルバムで、まさにLAセッション黄金期の結晶だ。
『Straight from the Heart』参加ミュージシャン一覧(主要)
パトリース・ラッシェン(Patrice Rushen)
- ボーカル
- キーボード/シンセサイザー
- アレンジ/プロデュース
本作のサウンドそのものを作り上げた中心人物。

Paul Jackson Jr.(ギター)
- ウェストコーストを代表する名手
- George Benson、Michael Jackson、EW&Fなどにも参加
- “都会派ソウル”の枠を作った人物のひとり

Marlo Henderson
- Minnie Riperton、Michael Jackson、Stevie Wonder周辺で活躍
- シルキーでグルーヴィなバッキングが特徴
Freddie Washington (Freddie “Ready Freddie” Washington)
- 「Forget Me Nots」の跳ねる名ベースラインの創作者!
- 80年代ファンク〜R&B系の代表的ベーシスト
- Patrice作品の“肝”とも言える安定感のあるグルーヴ

James Gadson(ドラム)
- Bill Withers、Quincy Jones、M.Jacksonなど黄金期を支えた巨人
- しなやかでタイトなグルーヴは本作の土台を形成

Leon “Ndugu” Chancler(ドラム)
- Michael Jackson「Billie Jean」のドラマー
- ジャズ〜ファンクを自在に行き来する多才な職人
Paulinho Da Costa(パーカッション)
- 80年代AOR/R&Bに欠かせないブラジル名パーカッショニスト
- 繊細かつ華やかで、アルバムに都会の色気を加える

◆ホーン & ウィンド
Gerald Albright(サックス)
- 後のスムースジャズ界を代表するスター
- 若手時代の参加ながら、すでに存在感抜群

Jerry Hey(トランペット/ホーンアレンジ)
- クインシー人脈の超一流ホーンアレンジャー
- EW&F、TOTO、Michael Jacksonで名アレンジ多数
Gary Grant(トランペット)
Larry Williams(サックス/フルート)
- TOTOのサポートや多数のLAセッションで活躍
◆キーボード/シンセサイザー
Greg Phillinganes
- M.Jackson、Stevie Wonder周辺の大御所
- フィルインやコードワークで作品に厚みを追加
Charles Mims Jr.
- Patrice作品の初期から関わるアレンジャー/キーボーディスト
- 「Remind Me」の世界観に特に大きく貢献
◆ストリングス(アレンジ/演奏)
Clare Fischer(ストリングスアレンジ)
- 叙情的で優雅なストリングス使いに定評
- 都会派R&Bに“格”を与える名匠
◆バック・ヴォーカル
Roy Galloway
Lynn Davis
Patriceの柔らかなヴォーカルに寄り添うメロウなハーモニー
『Straight from the Heart』は
・洗練されたサウンド
・女性アーティストが切り拓いた新しいブラックミュージック像
・そして後世への圧倒的な影響力
そのすべてを併せ持った1982年の金字塔である。
ブラックミュージックを語るうえで欠かせない一枚。
そして、夜の街に溶け込む“都会の香り”を、いまも色あせることなく放ち続ける名盤だ。




















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